
生きていることと、稼ぐことは別の話だと思っていた
私は48年間、出版社を営んできました。
本をつくり、言葉を届け、文化の端に身を置いてきたつもりです。
令和元年、末期の前立癌と診断され、
医師からは「覚悟をしてください」と告げられました。
しかし、私は死にませんでした。
理由は分かりません。ただ、生き延びた。
それ以来、私は
人間は病気で死ぬのではない
という考えを持つようになりました。
一方で、私は典型的なノウハウコレクターでもあります。
情報商材を買い、読んで満足し、実行せず、また次を探す。
そんな私が、
「合資会社QRL(キュリオ)」という副業に触れ、久しぶりに強く立ち止まったのです。
キュリオという名前が示すもの
キュリオ。
語感としては、好奇心、知的探究を思わせます。
実際に紹介されている内容も、
・スマホでできる
・AIを活用
・初心者向け
・特別な知識不要
と、非常に親切そうです。
若い頃の私であれば、おそらくすぐに登録していたでしょう。
ですが、生き延びてしまった今の私は、
まず「構造」を見るようになりました。
副業を「仕組み」として見る癖
私は出版社を営んできました。
本という商品があり、読者という顧客がいて、
流通という仕組みがある。
地味ですが
どこからお金が生まれ、どこへ流れるかは明確です。
そこでキュリオを見たとき、
どうしても引っかかったのが次の点です。
・何を提供して対価を得るのか
・誰が顧客なのか
・自分はどの工程を担うのか
これらが、はっきり言語化されていない。
「AIがサポートする」「自動で収益化する」
この説明だけでは、商売としての輪郭が見えてきません。
AIという言葉の誤解

私は最新技術を否定する人間ではありません。
むしろ、紙からデジタルへ移ることにも前向きです。
しかし、AIが稼ぐという言い回しには、強い違和感を覚えます。
AIは道具です。
編集者がワープロを使うのと同じ。
文章を書くのは人間であり、価値を決めるのも人間。
キュリオでは、AIが何を判断し、人が何を判断するのかが曖昧です。
この曖昧さは、行動を鈍らせ、責任の所在をぼかします。
無料という言葉の裏側
キュリオは無料から始まります。
これは今や珍しいことではありません。
ですが私は、
長年ビジネスに携わってきた人間として、こう考えます。
無料は入口であり、選別である。
登録後、
・個別連絡
・状況ヒアリング
・意欲確認
が行われる流れは、
極めて自然で、同時に計算されています。
問題は、その先に何が待っているのかが
最初から見えないことです。
有料サービスと責任の関係
有料プランが存在すること自体は
悪いことではありません。
問題は、支払った対価で何を得るのか
が明確かどうかです。
・スキルなのか
・ノウハウなのか
・権利なのか
・単なる参加資格なのか
ここが曖昧なまま進む副業は、後から必ず不安を生みます。
私はこれまで、
「買った時点で満足する」
という過ちを何度も繰り返してきました。
だからこそ、今は慎重になります。
数字よりも、実感
副業の世界では
利益が増えていく画面がよく提示されます。
しかし、私にとって大切なのは
「それが自分の人生に何をもたらすか」です。
・時間を奪わないか
・精神をすり減らさないか
・人を欺く構造ではないか
稼げても、心が荒むなら意味がない。
生き延びてしまった人間として、
そう強く思うのです。
私がキュリオを見て感じた結論
合資会社QRL(キュリオ)は、
丁寧に作られた副業案件だと思います。
しかし同時に
・ビジネスモデルが見えにくい
・AIへの期待が過剰
・主体性が育ちにくい
・判断を委ねやすい
こうした側面も否定できません。
私のような、
情報を集めすぎて動けなくなる人間には、
特に注意が必要だと感じました。
最後に

私は一度、人生の終わりを宣告されました。
それでも生きている。
だからこそ、稼ぐことにも、意味を求めたい。
分からないものには手を出さない。
説明できないものに身を委ねない。
それは臆病ではなく、
生き延びた者の礼儀だと思っています。